StudioASPが取材した音楽スタジオ・インタビュー特集(全66回・2014年3月〜2019年10月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

音楽スタジオファイル Vol.42

高田馬場 BAZOOKA STUDIO

BAZOOKA STUDIO について
1993年オープンのリハーサル&レコーディングスタジオ。国民的ロックバンドからヒップホップシーンの寵児まで、アマチュアからプロまで多くのアーティストに信頼され、時代を「先録り」してきたバズーカサウンド。2013年に高田馬場・早稲田通りに移転し、高音質・高コストパフォーマンスのレコーディングスタジオ3部屋と選べるファンシフルなリハスタを完備。2017年アコースティック専用ピアノスタジオ2部屋(旧5st)を新設、オンライン予約もスタート。
BAZOOKA STUDIO お問い合わせ
BAZOOKA STUDIO公式サイト
新宿区高田馬場3-3-3 三優ビルB1
TEL 03-3360-3377
営業時間 10:00〜翌6:00

音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 バズーカスタジオ 編

このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

BAZOOKA STUDIOマネージャー 伊東和彦氏インタビュー

本日は高田馬場BAZOOKA STUDIOマネージャーの伊東和彦さんにお話をお伺いします。まずは、スタジオオープンの経緯などを教えてください。

1993年に新宿御苑でオープンして、2013年12月に、いまの高田馬場に移転オープンしました。僕は1995年に途中入社したので、オープンにあたっての経緯について詳しい事はわからないのですが…。

新宿御苑時代も今(高田馬場)と同じような感じの店舗だったのですか?

僕が入った頃は、レコーディングスタジオ3部屋、リハスタが2部屋という感じでしたが、最終的には(新宿御苑時代は)レコーディング専用になっていました。

(新宿御苑では)リハスタをやめて、レコーディングだけにしたのですか?

はい。リハーサルスタジオ部分を閉鎖して、コンパクトなレコーディングができるコントロールルームと1ブースのスタジオに改装しました。

当時レコーディングだけに舵を切った理由というのは?

ちょうどその頃、ProToolsがプロのレコーディング現場でも使えるレベルの製品になったのが大きいですね。コンパクトで低価格に高音質なデジタルレコーディングが実現できるということで。

ここ(高田馬場)にはリハーサルスタジオもありますよね?

はい、高田馬場に引っ越すタイミングで、リハーサルスタジオを再開しました。

BAZOOKAスタジオは、多くの有名アーティストが利用していることでも知られています。ぜひ、そのあたりのエピソードを聞きたいのですが。

BAZOOKA(新宿御苑時代)のリハスタ会員ナンバー1番はミスチル(Mr.Children)さんだそうです。当時の上司から聞いた話なので確かではないのですが…。

それはすごい!

僕が入社する前の話なので、残念ながら直接お会いしたことはありませんが、ビックリな話です。その他に有名どころでは、ブレイク前のGLAYさんはレコーディングで利用して頂いていました。新宿御苑後期だと、当時はChampagneと名乗っていたはずのAlexandrosさんを録らせてもらいました。

GLAYからAlexandrosまで! ジャンル的にはどのようなアーティストが多かったのですか?

基本的にはロックバンドが中心でしたが、ヒップホップのアーティストの方の利用も多かったですね。KGDR(キングギドラ)さん、YOU THE ROCK★さん、RHYMESTERさん、BUDDHA BRANDさん等に使っていただいていたので、「ヒップホップのスタジオ」という感じになっていた時期もありました。

BAZOOKAスタジオ創設時からのテーマが「価格破壊」

BAZOOKAスタジオは今年24年目となります。ここまで続いている理由、経営的な部分のお話をお伺いしてもよいですか?

BAZOOKAのスタジオ創設時からのテーマに、「価格破壊」というのがあったんですよ。当時、プロのレコーディング現場で定番だったSSL(コンソール)とSONY3348(MTR)があるクラスのスタジオで、1日約50万円が相場でしたが、当時のオーナーのツテで、海外からSSLや3348を並行輸入して、半額に近いスタジオ価格を実現していました。

機材を輸入で安く揃えて、低価格戦略を取っていたのですね。

はい、その頃のレコーディングスタジオというのは、いわゆる「設備産業」でした。それが、ProToolsが登場して、PCをつかったレコーディングが主流になって、その「設備環境」が誰でも買えるようになるなと。

個人レベルでも、デジタルレコーディングの環境がそろえられるようになりましたね。

印刷業界がDTP(デスクトップパブリッシング)の出現で、大掛かりな設備が不要になっていくのを見ていたので、それはもう、必然的に音楽業界にもこの波はやってくるというのはわかっていました。だから、どう時代に合わせていくかということを、わりと早い段階から考えていました。

時代の流れに合わせて、スタジオの形態も変化してきたということなのですね。

そういうことです。今やネットが普及して、機材の輸出入もできるようになったので、うちよりも安いところや、様々な形態のスタジオが増えてきました。必然的に、うちは、「中堅どころのポジション」という感じになっているでしょうか(笑)。

いま現在から未来に向かって、レコーディングや音楽はどういうふうに進化していくのでしょうか?

ここから先の未来は予測が難しい(笑)。これ以上、デジタル的に進化していくというのは、おそらく無いんじゃないですかね。

技術的には、来るところまで来たという感じ?

極論を言うと、「音楽を聴く」という行為が、耳ではなくなるところまで行かないと、大きな変化は起きないと思います。

骨伝導ヘッドホンのような?

コードみたいなものを人間に直接ラインインするみたいな、攻殻機動隊の世界ですかね。「音」=(イコール)「空気の振動による伝達」なので、人間が「口でしゃべって耳で聞く」という方法が変わるくらい進化しないと。まあ、人間はアナログなので、きっと、そこまでは変わらないでしょうね。当然ですが。

では続いて、伊東さんと音楽の出会いについてお聞かせください。

中学の時はクラスメイトが話しているBOØWYや歌謡曲、ドラマの主題歌になっていた久保田利伸さんなどを聴いていました。ベストヒットUSAがきっかけで洋楽も聴くようになりました。

本格的に音楽を聴くようになったのはいつ頃から?

高校生の頃からですね。4つ上の姉の影響で、家にユーロビートががんがん流れていたせいか、ダンス系の音楽の方が好きになりました。ヒップホップやレゲエ、ハウスミュージックにハマって19歳の頃にはクラブ通いしてました(笑)。

海外から本格的なハウスミュージックが入ってきた頃ですよね。

GOLDとかYELLOWが全盛だった時代です。有名なDJが来日するときは必ず遊びに行っていました。ちなみにジュリアナの後期も行っていましたけど、それはまた別の目的で (笑)。

そのやんちゃぶりから、よくぞレコーディングの世界に来ましたね(笑)。

最初はDJに憧れていたんですが、クラブ遊びを重ねるうちに「待てよ? DJプレイも素晴らしいけど、その曲を作った人の方がもっとすごくないか?」と思いはじめたんです。

専門学校を出ているわけではないので、何をしたらいいか見当がつかなかった

音楽制作の方に興味がでてきたのですね。

はい。当時のバイト先で、レコーディングエンジニアの方と出会う機会があって、音楽を作るお手伝いができないかと真剣に考えるようになりました。ただ、僕は専門学校を出ているわけではないので、正直、何をしたらいいか見当がつかなくて。なので、知り合った二人のエンジニアさんに「興味があるから、仕事を見学させて欲しい」とお願いしてみました。

飛び込み営業のようですね。

まさしくそれですね。一人目のエンジニアは、小野誠彦さんというレコーディングエンジニアの方で、荷物運びを手伝いがてらスタジオに同行させてもらえることになったんです。その時、連れて行ってもらった現場が、葉加瀬太郎さんがやっていたクライズラー&カンパニーのバイオリンパートのレコーディング現場(音響ハウス)だったんですよ。

何も知らない若者にいきなりトップ級の現場を紹介してくれたのですか?

ええ(笑)。でも、当時の僕は葉加瀬太郎さんを存じ上げず、そういった音楽も聴いてこなかったので、何をやっているのか皆目分からなくて(苦笑)。

未知の体験ですからね(笑)。で、もう1人のエンジニアさんは?

もうひとりは、当時ビクターに在籍していた山口泰さんで、見学の許可をもらった時は、ちょうどMUROさん、TWIGYさん、リノさんのMICROPHONE PAGERのセッションで、歌録りのときでしたね。そのスタジオというのが新宿御苑にあったBAZOOKA STUDIOだったんです。

ここでBAZOOKA STUDIOと伊東さんの接点ができるのですね。

レコーディングスタジオは人生で2回目か3回目くらいでしたけど、「ビビビビビ」って衝撃を受けたのを覚えています

ビビビときましたか(笑)!

はい(笑)。僕は右も左も分からないわけですから、どこでもいいからスタジオに入ることから始めようと、小野誠彦さんと山口泰さんにスタジオを紹介してほしいとお願いして、一番早く紹介されたのが当時のBAZOOKA STUDIOのチーフエンジニアの方でした。

「いい加減なんとか雇ってもらえませんでしょうか?」とお願いした

その紹介をきっかけにBAZOOKA STUDIOに入ることに?

まずチーフエンジニアさんからBAZOOKA STUDIOのマネージャーさんを紹介されて、とりあえず話をしに行ったのですが、僕はもう「レコーディングのことは正直全く分かりません!」と答えることしかできなくて(笑)。

漫画みたいな展開ですけど、大丈夫だったんですか ?

それがちょうどその頃、アシスタントを数名雇ったタイミングだったようで、レコーディングが分からないなら雇えないと告げられたんです。

ええ! 雇われなかったのですか? そこからどうやって今のポジションに?

雇えないけど「遊びに来る分にはいいよ」と声をかけて頂いたので、そこからは毎日遊びに行きました。遊びに行くという名の雑務ですけどね(笑)。

インターンみたいな感じですね。

そうですね。当時は実家に住んでいたので、親に事情を話して、給料はないけれど、しばらく家に住ませてください、とお願いしたりしました。

昭和を彷彿させるエピソードです。

それで半年ほど通いつめた頃に、「いい加減なんとか雇ってもらえませんでしょうか?」とお願いしました。これは後に聴いた話なのですが、その頃、マネージャーがスタッフ1人1人に「伊東ってどうなの?」と確認する会議が行われていたみたいです。

伊東会議ですね(笑)。

はい。それで、皆さんから頑張っているから会社に入れてもいいよね、という返事を頂きまして、晴れてスタジオのスタッフになることができました。

おめでとうございます!

すがる思いでしたからね。最初は電話対応とリハの受付。それからパンフレットや資料の制作、業者さんとの交渉などをこなし、そのうちにアシスタントエンジニアのアシスタントのようなことをやらせてもらい、正式なアシスタントに昇格しました。後にエンジニア席に座るようになって、ようやく社会人になれたような気がします(笑)。

エンジニア志望の若者にとって希望がわくストーリーです。

ただ今の時代は難しいでしょうね。

え、なぜ?

いや、エンジニアは激務ですから。雇う方として法的に問題ありそうですもん。ブラックっていうのかな…(苦笑)。

今ニュースになっているアレですね。音楽業界って、全体が漆黒に近いグレーですけど、どうなんですかね(笑)それでは最後にBAZOOKA STUDIOからメッセージをお願いします。

リハーサルからレコーディングまで、音楽をこよなく愛する人たちの「たまり場」になれたら、という思いでBAZOOKA STUDIOを運営しています。皆様のご相談にいつでも親身に対応するスタンスでやっていますので、どんな事でも気になったことはスタッフに気軽に尋ねてくださいね。

好きなことに真っ直ぐに向かう姿勢とメッセージを頂きました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2017年1月)

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