StudioASPが取材した音楽スタジオ・インタビュー特集(全66回・2014年3月〜2019年10月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

音楽スタジオファイル Vol.18

VELOUR VOICE STUDIO M&N録音サービス

M&N録音サービスについて
バンドの指定するスタジオへ出張し、現地でレコーディングをするというM&N録音サービス。出張レコーディングのメリットは、バンドメンバーらが普段のスタジオで普段通りの演奏が出来る、という大きな強みを持っている。また、国分寺にホームグラウンドとなるスタジオ『VELOUR VOICE STUDIO』も有しており、スタジオの特性を生かしたガレージ感あふれるサウンド作りも可能。エンジニアの三木さん自身もドン・マツオグループに参加するなど、ミュージシャンの心模様を熟知したスタジオワークが特徴。
M&N録音サービス お問い合わせ
M&N録音サービス 公式サイト
国分寺市南町3-14-5 東和ビル4F
録音のご相談はメールで受付
E-mail:mikisate@gmail.com

音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 VELOUR VOICE STUDIO 編

このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

M&N録音サービス代表・エンジニア 三木 肇氏

M&N録音サービスの三木肇さんにお話をお伺いします。よろしくお願いします。三木さんがレコーディングを始めるきっかけから教えてください。

若い頃からバンドをやっていて、バンドのデモテープ作りをしたのが、録音に対しての興味を持ったきっかけです。それから、知人のバンドの録音もさせてもらうようになって、機材も自分でそろえていきました。それらがM&N録音サービスの原点だと思います。

サービスとしてはいつ頃からスタートしたのですか?

正確にはちょっと忘れちゃったな(笑)。M&Nの名前自体は出張レコーディングのみの頃からずっと使っていました。聞かれた時は「だいたい10年ぐらいやっています」と答えています。トータルではもっと長くなりますが、本格始動したのはそれくらいかなと。

現在の出張レコーディングは、どこのスタジオでも対応が可能なのですか?

基本的にどこのリハーサルスタジオでも録音するスタンスです。

毎度現場が変わるとなると部屋鳴りの違いなどもあって難しそうですね。

はい。でも、バンドが普段使っているリハーサルスタジオで出している音が、結果的には一番良い音になることも多いんですよ。

なるほど。初めてのレコーディングスタジオだと緊張しちゃうことはありそうですもんね。

バンドの人って、朝起きた時からずっとバンドマンじゃないですか。「今日はレコーディングスタジオで録音だ!」ってなると、その日の朝から緊張する人も多い。そういう部分をほぐしてあげたいんですよ。普段使っているリハーサルスタジオであれば何時も通りリラックスして演奏できます。

ところで「M&N録音サービス」の名前の由来は?

M&NのMは自分の名字「三木」です。しばらく録音をしていなかった時期に「機材があって録音ができるなら、バンドに声をかければ、レコーディングしてもらいたい人、いるんじゃないの?」と言われ、その後、中村君というパートナーと一緒に出張レコーディングを始めたんです。それがM&Nのはじまりで名前の由来です。

VELOUR VOICE STUDIOはM&N録音サービスの基盤となる拠点。

このスタジオ「VELOUR VOICE STUDIO」をオープンした経緯について教えてください。

このビルはこの下のフロアも含めバルーンスタジオというリハーサルスタジオでした。スタジオは2012年末で閉鎖したのですが、そのときバルーンスタジオのオーナーさんが、スタジオで僕がレコーディングしていたMOLICEというバンドに「賃貸契約でこのスタジオを借りないか?」と尋ねてきました。

なるほど、閉店するスタジオをそのまま賃貸で借りることになると。

はい、そして、そのMOICEというバンドから「録音する場所としても使えるように一緒に借りないか?」と言われ、活動基盤を作るキッカケのチャンスだと思い、僕も関わるようになりました。

スタジオの一般貸出は行っているのですか?

いえ、現在はバンドのプライベートスタジオ兼レコーディングスタジオみたいな感じです。一応、身内などにクローズで貸し出しはしているんですけど、オープンな貸し出しはやっていません。

出張レコーディング以外にも、このスタジオでも録音ができるようになったのですね。

はい、ここのスタジオを持つようになってからは、ここでのレコーディングがかなり増えました。メインになりつつあります。

このスタジオの音の特徴、目指すサウンドというのはどのあたりですか?

こういう部屋での録音になるので、ガレージオルタナティブ系の音で録っています。バンドで例えると、目指すところはスティーリー・ダンじゃなくて、ストゥージズですかね。

エンジニアが「よい音のお手本」とするスティーリー・ダンの音ではなくて?

エンジニアの人はみんな、スティーリー・ダンを聴いてきていると思います。今聴いてもすごくいい音ですから。まあでも、スティーリー・ダンは胃が痛くなるような音作り(笑)。録音するのに何百回リテイクしたんだろう、って音で(笑)。

キーボードマガジンよりサンレコのほうが好きだった。

それでは続いての質問です。三木さんと音楽との出会いについて教えて下さい。

音楽を意識し始めたのは、12、3歳の頃やっていたザ・ベストテンなどのテレビ音楽番組です。その中でも、特にTMネットワークやBOØWYなど、いわゆる当時の王道ですね(笑)。バンドブームもピークで、TMネットワークのような、シンセやコンピューターを並べるようなバブリーなバンドがバンバン出てきた時期でした。かなり惹きこまれましたよ(笑)。

演奏自体はいつ頃から始めたのでしょう?

特にTMネットワークが好きだったので、中学の時にシンセサイザーを買ってもらって、打ち込みをやっていました。時はバブリーで、家も小金持ちだったので(笑)。

良い時代でしたね(笑)。その後は高校でバンド活動など?

はい。バンドは18才の頃に組んで、高校卒業後も続けていていました。担当パートはキーボード(シンセサイザー)でしたが、「キーボードマガジン」を読むよりも「サウンド&レコーディングマガジン」に興味があって、レコーディングの方が面白いなあって思っていました。

それが後のM&Nにつながるのですね。音楽的な趣向に変化はありましたか?

TMネットワークやBOØWYが好きなのを元に、デビッド・ボウイ、YMO、クラフトワーク等、シンセサイザー音楽にどっぷりとハマりました。そうなるとブライアン・イーノという人物が自ずと出てきて、そこからドイツのプログレミュージックまでいきました。

ややマニアックな方向に進みましたね(笑)

TMネットワークから入ると、小室ファミリーを経由してダンスミュージックの世界に進んだ人が多いと思いますが、僕の場合はドイツへとベクトルが向きました。それから、いろんな分岐点があって、人は行くべき所に行くのだと思いますね。ローリングストーンズにまでたどり着きましたし。

一気にロックにきましたね、どういう経緯でローリングストーンズへ?

ローリングストーンズの大ファンであるズボンズドン・マツオさんに出会ったり、師匠のマスタリングエンジニアの影響だったりと、30才を過ぎてから出会う先輩が、ローリングストーンズが好きな方がやたら多かったせいだと思います。

それまではローリングストーンズには触れてなかった?

少しは聴いていましたが、ここまで強烈にローリングストーンズを好きな人がまわりにいると、自ずとガッツリと聴かざるを得ないというか、いつの間にか好きになっていました(笑)。

ドン・マツオさんとの出会いがターニングポイントになった。

三木さんは、ドン・マツオさんとバンド活動をされていますね。

ドン・マツオグループにシンセで参加しているのと、ドン・マツオさんのソロや、ズボンズの録音にも関わらせてもらっています。ドン・マツオさんとの出会いは、かなりのターニングポイントになっていますね。

ドン・マツオさんとは、どのようにして出会ったのですか?

ドン・マツオさんが東京録音というマスタリングスタジオで、ドン・マツオさん本人がミックスをやっていたのですが、どうも納得がいかなかったらしく、エンジニアの方から連絡が来て「お前がミックスをやれ」といわれました。それで、その日の夜に行って朝までミックスしたというのが出会いです。

三木さんのエンジニアリング技術力を知ってもらうきっかけになったのですね。

ええ。そこからドン・マツオさんのライブにも行くようになりました。

ドン・マツオさんといえば生粋のロックンローラーですが第一印象はどうでした?

ロックンローラー、というよりは作家のようにも感じました。出している音はロックでも、もろにロックっていう印象ではなかった。まんま、作家って言ったらそれも変だけど、バンドマンっていう雰囲気だけじゃない「何か」が滲み出ていました。

気付けばロックな世界にドップリですね(笑)。

そうですね(笑)。途中でブルースにもいこうとした時もあるのですが、ブルースはどうにもわからなかった(笑)。「これって日常で聴く音楽なのか? 今の生活スタイルで電車に座りながら、イヤホンで聴くかな?」と疑問が出てきて…、まあ、僕もまだまだだなと思いました(笑)。

ブルースは世捨て人にならないと染みにくい音楽かもしれない(笑)。

そうですね。もしくは、ブルースしか聴かないとかにならないと厳しいようにも…。

それでは最後になりますが、三木さんからメッセージをお願いいたします。

ミュージシャンに伝えたいことは、「ライブハウスに出る以上は熱くなれ」というとこです。せっかくライブをしているのに熱くなってない人たちがたまいる。お客さんは、バンドを見に行くっていうよりは、ライブハウスに遊びに行きたい、イベントを体感したい、と思っているので、まずは、ミュージシャン自身が率先してライブハウスでの遊び方を見せるべきだと思います。

ミュージシャンが「ライブシーン」を楽しんでないと?

それと、知り合いのバンドのライブには、もっと足を運んだほうが良いと思います。他人のライブには顔を出さないのに、自分たちのライブには見に来てくれ、というのはどうなのかなと。一方で、それはそれで内輪だけでの盛り上がりになってしまいかねない部分もありますが…、それでも、自分のいる世界をもっと深く生きた方が楽しいと思います! って…レコーディングと関係ない話になっちゃったかな(笑)?

いえ、現状に対して的を射たご意見だと思います。本日はありがとうございました。

ありがとうございます。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2015年12月)

インタビュー特集一覧(バックナンバー)

バンドメンバー募集のメンボネット ミュージックジョブネット
サウンドペディア
キーボードマガジン
1979年リットーミュージックから発刊された鍵盤演奏者向け月刊雑誌。米国『Keyboard』との編集提携で創刊。キーボーディストこそ音楽の主役であるといわんばかりの欧米感漂う雰囲気にポピュラーミュージックキーボーディスト愛好家は胸をときめかせた。80年代、MIDI楽器が台頭すると、演奏やアレンジといった音楽的視点が中心の誌面からMIDI関連機材の紹介が紙面の多くを飾るようになる。2008年月刊誌から季刊誌化されながら刊行されている。
サウンド&レコーディングマガジン
1981年リットーミュージックから刊行された音響・録音技術専門誌。通称「サンレコ」。裏方とされていた音響技術のポジションに眩しいスポットを浴びせる。80年代中盤、シンセサイザーで音を重ねシーケンスによるフレーズが楽曲の骨格を作るという音楽制作方法が登場すると、より音楽的側面からの記事も充実させていく。今日まで、ダンスミュージックやDJ機器、DAWなど、サンレコに求められる分野は拡大し、業界の重要媒体として確固たる地位を築いている。
ローリング・ストーンズ
1962年ロンドンで結成されたブルースをルーツとするロックバンド。「サティスファクション」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」など、このバンドの曲やフレーズを聞いたことがない人は(本人が意識していなくとも)いないほど、現代人の生活、文化に密着した音楽の世界で歴史上もっとも成功したバンドの一つ。1989年ロックの殿堂入り、2004年ローリング・ストーン誌の100組の偉大なアーティストで4位。日本には1990年に初来日を果たし東京ドームで10公演を行った。
ドン・マツオ(The Zoobombs)
日本のロックバンドThe Zoobombs(ズボンズ)のVo&Gtでリーダー。熱心なローリング・ストーンズフリークであるように、王道ロックサウンドにジャズ、ファンク、ヒップホップを取り込んだオルタナティブ・サウンドに、激しいパフォーマンスに熱いメッセージを歌う。1994年にズボンズ結成。2000年にメジャーアルバムを発表後、アメリカでの活動も開始。2006年にはソロ作品リリース。2015年新たなメンバーを加えてズボンズの活動を再開、海外ツアーを行う。
公式サイト thezoobombs.com
ストゥージズ(The Stooges)
1967年にイギー・ポップを中心に結成されたアメリカのロックバンド。衝撃的なボーカルスタイルとメッセージ、自虐的で過激すぎるイギーのパフォーマンスは、のちのハードコアパンクやスラッシュメタル、今日で言うラウドロックといった音楽の数十年先を歩いていた。近年、メンバーの逝去が続くが、ロックの世界に刻んだ歴史は色褪せることがない。ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト78位。2010年ロックの殿堂入りを果たす。
スティーリー・ダン
1971年に結成したアメリカのバンド。ロックをサウンドにジャズ、R&Bを取り入れ、偏執的なまでの演奏、音質にこだわったサウンドは、同業者のミュージシャンも一目置く。1977年「彩(エイジャ)」でグラミー賞最優秀録音賞受賞。レコーディングに参加した多くのミュージシャンが後に世界を代表するプレイヤーとなる。1982年ドナルド・フェイゲンがソロ作品としてリリースしたアルバム「ナイトフライ」は音の基準アルバムとして、まずはかけてみる音職人は未だ大勢いる。