音楽スタジオファイル Vol.33
高円寺 P.I.G.studio
- P.I.G.studioについて
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2003年11月オープンした高円寺北口のリハーサル&レコーディングスタジオ。11帖と13帖の全5部屋とミキシングルームを完備。「バンド仲間が集まり、人のつながりや輪が広がっていく場所にしたい」そう語るのは元ニューロティカのメンバーで、熱帯魚店を経営しながらP.I.G.スタジオを営む代表の宮原 修一氏。学生さん、リズム隊を応援する価格設定とサービス、近隣ライブハウス出演前の利用も多く、大御所バンドと高校生が談笑するロビーは世代を超えた音楽交流の場。
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杉並区高円寺北2-2-1 巳善ビルB1
TEL:03-3310-9311
営業時間:10:00~
音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 P.I.G.studio 編
このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
P.I.G.studio代表取締役 宮原修一 氏
本日は、ミュージシャンに愛されているスタジオで有名な高円寺P.I.G.スタジオの代表、宮原さんにお話をお伺いします。まずはオープンまでの経緯を教えてください。オープンはいつになりますか?
星野タイガースが優勝した年だから…、そう、2003年にオープンしました。スタジオをオープンする前から「FISH JAPAN」という熱帯魚屋を22年前からやっていて、その前は「ニューロティカ」というバンドをやっていました。
宮原さん、ニューロティカのメンバーだったのですか!
はい、ニューロティカは、私とボーカルのあっちゃん(イノウエアツシ)で作ったんですよ。もう、私は辞めていますけど。で、その熱帯魚屋の経営が順調で、銀行がお金を貸してくれるということになって、最初は、「もう1店舗、熱帯魚屋を出さないか?」という話だったんですが、昔からバンドをやっていたし、偶然この物件を見つけたので、すぐさま融資してもらいスタジオをオープンしました。
どのようなスタジオを作ろうと思ったのですか?
ニューロティカを辞めてから5年間くらいは音楽関係の活動はまったくしていなかったんですよ。その間、仲間たちがメジャーに行ったり、またインディーズに戻ったり、活動が徐々に散り散りばらばらになってたりしていて…。だから、ここで一緒に音楽をやっていた仲間たちが集まって、さらに輪が広がったらいいな、と思ったんですよ。基本は個人経営なので、ビジネス勝負では大手には敵いませんから(笑)。
ニューロティカの頃の仲間も、みなさん集まってくるのですね
そうですね、当時のバンドムーブメントのパンク系の仲間が使ってくれて、またバンドを始めたり、再結成したり、ということもありました。まあ、みんな50歳台ですよ(笑)。一時は一見さんが入れない雰囲気のスタジオでもありました(笑)。
ちなみに、スタジオでレコーディングも可能なのですね?
はい可能です。当初はリハーサルスタジオだけにしようと思っていたんですけど、元LOFT(新宿)のPA繋がりで、SPC(東北ライブハウス大作戦)代表の西方明人らが協力してくれて、レコーディングルームも作ることにしました。私自身は、機械の方は詳しくないので、レコーディングに関してはSPCのチームにお任せしています。
近年スタジオが激増していますが、固定ファンがいるので、経営的に影響はない感じ?
そのあたりはマイペースでやれています。ただ、夜は良いんですけど、昼間はお客さんが少なかったので学割サービスを始めました。自分が学生の時は、とにかく金が無くて、スタジオに入るのも大変だったので、そういった体験から、バンド練習は学割で終日1時間1,000円に設定しています。
それは安い!今も、若い子が(スタジオに)いるので、活用されているようですね。
はい、おかげで学生さんも増えて、この間も19歳の子がプロになりたいと言って、1日4、5時間くらいドラムの練習していました。しかも、うちのスタッフでプロのドラマーがいるので、彼を紹介して、アドバイスをしたり、コミュニケーションを取ったり…、そういう繋がりを見ていると面白いですよ。
スタッフにプロミュージシャンがいるのですか?
はい、元ロリータ18号のTO-BUちゃんや、横山健バンドのまっちゃんなど、ドラム出身のスタッフが3人いるんですよ。なので、私、ドラマー、19歳の子と3世代で会話してることになりますね(笑)。
アナーキーのメンバーと高校生が会話している
世代間交流ができるスタジオとは素敵ですね。
この前は、アナーキーのメンバーと高校生が会話していました。『おまえら、何が好きなんだ』って(笑)。普通に考えたらすごい光景ですよね。そういえば、梶君(元THE BLUE HEARTS)も個人練習で来てました。
アナーキーの面子を見て、高校生はビビっちゃいそうですが(笑)
あの方達は大御所なんで、子供たちの扱いを分かってますよ(笑)。 『おまえら、チャックベリーが好きなの?てめえ〜(笑)!』みたいな様子で微笑ましいロビーですよ。
お互い自然に打ち解けていくのですか?
私が自ら、どんどん紹介しあっています。ここで知り合って、違うジャンルのバンドが仲良くなったり、一緒にライブするようになったりして面白いですよ。かっこよく言うと『絆』ですね。昔、一緒にやっていたバンドマンもいるので、多くの人が繋がれるよう応援したくなっちゃう。
すばらしいですね。理想的なスタジオの姿だと思います。
そうですね。楽しいですよ。私には楽器のことは分からないけど、詳しいスタッフがいるし、お客さんたちも私よりよっぽど知識があるので、お客さん同士で修理したり、楽器の貸し借りをしたり。散歩ついでに立ち寄る人や、高円寺に来たから寄ってみた、なんて人もいて、たぶん(一般的にあるような)普通のスタジオとはちょっとちがうと思います(笑)。
あっちゃん(ニューロティカ)とも「松山千春」で知り合った
それでは続いて宮原さんと音楽の出会いをお聞かせください。
音楽との出会いは松山千春! 松山千春が大好きで、先週も松山千春の武道館コンサートに行ってきたばかりですよ。(ニューロティカの)あっちゃんとも、中学の時「松山千春が好き」という共通の趣味で知り合いました。
バンド活動をはじめたのはいつ頃ですか?
中学の終わり頃からです。財津和夫のチューリップを見て「バンド」というもの知り、高校からはARBやアナーキーを聴いて、その後ハードコアパンクの道へ入りました。
ハードコアパンクと松山千春、相当なギャップがありますね(笑)。
その頃は、一時的に松山千春を忘れていました(笑)。当時はインディーズパンクバンドだったので松山千春が好きといえなくて(笑)、メジャーになってから、ようやく『松山千春が好き!』と、公言できるようになりました。
メジャーデビューしたのにバンド(ニューロティカ)を辞めた理由を聞いていいですか?
糖尿病だったという事もあります。当時は90キロぐらいあって、体に限界が来ていたので。本名は修一ですが、『修豚(しゅうとん)』って名前でやってたくらい太ってたんです。まあ、それだけが全ての原因でもないですけどね…。
修豚…、それ自分で付けたんですか?
あっちゃんです(笑)。まあ、体が動かなくなっちゃったのと、同時期に熱帯魚にハマっていて、ツアー行くと、飲みに行かずに、熱帯魚屋に行くくらい好きになっていたんです。その熱が興じて、知り合いと熱帯魚屋をやり始めたんです。
熱帯魚屋もバンド以上にハードそうですが…。
すごい大変ですね(笑)。熱帯魚屋は年中無休でやってたので、休みの日はライブやって、ツアーの時は、帰ってきてすぐ熱帯魚屋に戻る、という生活でした。
その熱帯魚屋の売り上げも順調に伸びていって、このスタジオに繋がるのですね。
そうですね。アロワナとか何十万円もする魚が毎週のように売れていました。スタジオの方は、固定客と学生層を掴んだのは大きいですが、儲かっているというわけではないので、まあ、トントンですね。
ドラムはバンドの心臓部分だから応援したい
それでは最後に、P.I.Gスタジオからメッセージをお願いします。
学生さんを応援したいので、ぜひぜひ、来ていただきたい。あとはドラマーさんも応援したい。ドラムってバンドの心臓部分じゃないですか。個人練習は500円なので、バンバン来て欲しいです。
ドラマーはスタジオ代がかかりますので、その価格設定はありがたいですよ。
バンドをやり始めて『ドラムってすげえんだなあ!』と気付いたんです。ドラムとベースがしっかりしていないとバンドが成り立たない、とわかったんです。だから、ニューロティカの時も、曲は主に私が作っていたんですけど、作詞作曲の印税はメンバー等分にしていました。それくらいのことをリズム隊はやっています。
全国のリズム隊が泣いて喜ぶコメントです!
実際、ギターなんて、弾いてないですから。弾いてるようなフリ(笑)。だから、ドラムとベース、本当に応援したいんです。
本日は心に響く貴重なお話を誠にありがとうございました。
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