StudioASPが取材した音楽スタジオ・インタビュー特集(全66回・2014年3月〜2019年10月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

音楽スタジオファイル Vol.59

PLUS+FACTOR STUDIO

PLUS+FACTOR STUDIO について
2008年、武蔵小金井にオープン。ミュージシャンでもあるオーナーTAN氏(Hiroshi Taniuchi)によりアーティスト目線で施工された1ブース・1コントロールルームの隠れ家的レコーディングスタジオ。小さな個人スタジオの特徴を活かしたハンドメイドの空間は、作品づくりで創造性を存分に発揮できる居心地の良さを大切にしている。アナログ機器も揃え、ギター、ボーカルはもちろんドラム録音も可能。中央線「武蔵小金井駅」南口徒歩5分、小金井街道から「妙貫坂」を降りて右手。
PLUS+FACTOR STUDIO お問い合わせ
PLUS+FACTOR STUDIO公式サイト
東京都小金井市中町4-13-15 B2F
E-mail:info@plusfactor.info
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音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 PLUS+FACTOR STUDIO 編

このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

PLUS+FACTOR STUDIO オーナー谷内洋史(TAN)氏

本日は武蔵小金井PLUS+FACTOR STUDIOのオーナー、TAN さんにお話をお伺いします。オープンはいつになりますか?

2007年からスタジオづくりに着工して2008年に完成、営業開始しました。自分でつくったので時間がかかりました。

このスタジオの全てがTANさんの手づくりなのですか?

はい、コンクリートむき出しの状態から、壁も床もドアもほとんど自分でやりました。当分は工事現場のような状態が続きました(苦笑)。

その状態から、ここまでスタジオを仕上げるとは、施工関連の仕事もされていたのですか?

いやいや、そういうわけではないのですが(笑)。舞台美術やテレビのセットを作っていたことがあるので、DIYで形にすることはできました。でも、防音まわりの知識は少なかったので、徹底的に勉強してから取り組みました。

それはすごいですね。防音設備まで独学でされるとは!

作ることが好きなんですよ。といっても仕事もしていたので、かなりハードでした(苦笑)。仕事帰りに立ち寄って作業をしてから帰宅する、という毎日で。家族には3ヶ月で出来ると言って始めたのに1年かかっちゃいました。

ご家族の理解があってのスタジオなのですね。

その通りですね、いろいろ大変でした。子供もいるのに、スタジオづくりに私財を投じていたわけですからね(笑)。

Cocteau Twinsのスタジオでの作品作りに感銘を受けた

スタジオを作ろうと思ったきっかけは何だったのですか。

大好きだったCocteau Twins(コクトー・ツインズ)というバンドのスタジオに2週間ほど入り浸っていたことがあって、その経験がきっかけになったと思います。

あのCocteau Twinsのスタジオに!どのような経緯で?

話は過去にさかのぼりますが、長いあいだ一生懸命やっていたバンドが解散して、無気力な時期に1ヶ月半ほどイギリスで放浪していたんですよ。そこで、Cocteau Twinsのライブサポートをされていた日本人ギタリストの舘美津男さんにお会いして、スタジオに連れていってもらいました。

バンドは解散してしまったけど、その結果、ファンだったバンドのツアーギタリストに巡り合ったわけですね。

はい、4ADというイギリスのレーベルが好きで、なかでも所属していたCocteau Twinsは大好きでした。そんな有名なバンドともなれば、大きくて立派なスタジオを想像するじゃないですか? ところが「え、こんな小さなスタジオで録っているの?」と驚くほどコンパクトで。

それは意外です。世界的に有名なバンドですからね。

その小さなスタジオにミュージシャンが集まってきているのですが、ずっとみんなでゲームをやっていて、ゲームに飽きたら屋上でサッカーをやっていたりして(笑)。そして日が暮れる頃に「じゃあ録ろうか〜」といって、ちょっと録ったら「今日はこれで終わり〜」という流れ(笑)。

ミュージシャンにとっては、うれしいレコーディングの進め方だとは思います。

彼らのような生活感、世界観のなかでの作品づくりを目の辺りにして、「これはすばらしい。クリエイティブってこうじゃないと!」と感銘を受けました。バンド時代のレコーディングは、きっちり時間内で録音完了、即撤収という、暗黙の了解のなかでの作業だったので、こういうミュージシャンにとって居心地の良いスタジオを自分でつくりたいと思いました。

そのあたりはPLUS+FACTOR STUDIOを使っているミュージシャンからも良い評判を聞きます。

ありがとうございます。でも、ちょっと理想を追求しすぎで、「時間は、とりあえず適当でいいから〜」とか言っちゃって、ビジネス的にはどうかと思いますけど(苦笑)。

新しいアイデアやひらめきの生まれるスタジオでありたい

つぎに、スタジオのサウンド面の特徴やこだわりを教えてください。

先ほどの話のつづきになりますが、僕自身がミュージシャンなので「アーティスト目線でのレコーディング」を心がけているところです。エンジニアが本職の方は高音質を追求するものですが、ミュージシャンにとっては、必ずしもハイファイであることが良い音とは限りませんよね。

おっしゃる通り、作品には音質よりも大事なものがあると思います。

音質のみならず、たとえばの話ですが、演奏中になんらかのノイズが入ってしまった場合、エンジニアとしてはNGでも、アーティストサイドに立ってみて、良いなと思えば「このノイズがいいね」とアドバイスする場合もあります。ミックスダウンでも同様です。

TANさんに、エンジニアの客観性とアーティストとしての感性の橋渡しをしていただけるのですね。

臨機応変に、その時々でどちら側に立つべきかを判断しています。もしかしたらアーティストとしての発想が勝っちゃうことが少しばかり多いかな。もちろん、自分たちで明確なこだわりをお持ちの方のレコーディングでは、エンジニアとして徹しますよ。

音楽スタジオはたくさんありますが、TANさんのアーティスト寄りの運営姿勢は差別化のポイントですね。

大きな資本があるスタジオのように、すごく高価な設備を用意できるわけではありませんが、作品づくりに大きく関わる部分でのミュージシャンのサポート、自分のプライベートスタジオのような居心地の良さで、新しいアイデアやひらめきの生まれるスタジオでありたいと思います。

つづいて、TANさんと音楽の出会いについて教えてください。

僕は岡山出身で、音楽というか、楽器に出会ったのが6歳のころですね。

早くから楽器に親しんでいたのですね。

家にクラシックギターがあったので、手始めに少し親に教えてもらって、それからNHKの「ギターを弾こう」のテキストを買って独学で進めました。

譜面の読み方もご両親から?

いえ。学校の音楽の授業で、五線譜の読み方を覚えて、家で教本をひろげて練習していました。それを1年くらいやっていたら、その様子をみていた親がクラシックギター教室に入れてくれて、中2くらいまで習っていました。

熱心に取り組んでいたのですね。

それまで自分ひとりでギターの演奏を楽しんでいましたが、中1の頃に、はじめてバンドを組みました。

どのようなバンドですか?

3ピースで、プログレ、ジャズロックを目指しているようなバンドでしたね。オリジナルを中心にやっていたので、稚拙ながら曲はそのころから書いていました。

中学一年生でプログレ、ジャズロック…、よくメンバーが揃いましたね(笑)。

ベースのお母さんがオペラ歌手で、家には防音室があって、グランドピアノまで置いてあったんですよ。

そんな恵まれた環境を、利用しない手はないですね(笑)。

そうそう(笑)。子どもは入室禁止と言われていたけど、外出中に、メンバーみんなで入ってみたら、アルテック(ALETECH)の巨大なスピーカーのオーディオセットがあって。この時とばかりに「爆音で聴こうぜ」と、ドラムが持ってきたピンクフロイドの『原子心母』を、大音量で聴きました。

多感な時期に、ディープな音楽世界の入り口へ誘われたわけですね。

ええ(笑)。正直、何が何だかさっぱりわからなかったけど、「これがいいのか!きっとかっこいいんだ!」と、はしゃいだ記憶があります。

TANさんは、小さい頃からミュージシャン志望だったのですか?

いいえ、最初は絵描きになりたくて、画家を目指していました。中3の担任が美術の先生で、美術学校に推薦してくれるとまで言ってくれたのに、そのころには興味が音楽にシフトしていたので断ってしまいました。担任にも親にも絶句されましたけど(苦笑)。

そのあと、本格的に音楽の道に?

高校を中退して17歳で上京し、音楽専門学校に通いました。アート関係も好きだったので、在学中に舞台美術の仕事を始めました。バンド活動と並行して舞台の現場で働くようになり、その後フリーランスになってから、ずっとアートと音楽を続けて、いまに至っています。

手づくりのスタジオは、TANさんのこれまでの歩みの集大成とも言えますね。それでは最後にPLUS+FACTOR STUDIOからメッセージをおねがいします。

PLUS+FACTORという名前は、「プラスしていく要素」という意味で、そこに想いを込めてあります。作品をつくるときは、時間やお金、環境、あらゆる制約があると思いますが、限られたなかで「どれだけ視野を広げ、より良い要素をプラスしていけるか」を考えて制作していただきたいです。PLUS+FACTOR STUDIOで、そのお手伝いが出来たらすごくうれしいです。

創造力を羽ばたかせる、それぞれのPLUS+FACTORをみつけてほしいですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2019年1月)

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