音楽スタジオファイル Vol.22
代々木八幡 THEORY STUDIO
- セオリスタジオ について
- 1977年設立。日本を代表する多くのバンド、アーティストに愛用される老舗スタジオ。現在のスタジオは1989年、代表の富田氏の主人(故人)が、ミュージシャンがくつろげる空間作りや、機材の運搬や保管場所などの利便性を追求して建てられた。『セオリ』の由来は『自分の主張』という意味。どこまで自分の主張が貫けるか?という意志が込められている。創業者である主人の意思を受け継いだ富田氏と長女である神田氏による、心のこもったサービスも魅力のスタジオ。
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渋谷区元代々木町6-2 ドルチェ元代々木1F
TEL::03-3466-3551
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※時間外の利用も応相談
音楽スタジオの中の人に話を聞いてみた〜 THEORY STUDIO 編
このコーナーは音楽スタジオでミュージシャンをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして、色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。
セオリスタジオ 代表取締役 富田紀子氏(左)/ 神田真理子 氏(右)
セオリスタジオ公式ホームページ
本日は代々木八幡セオリスタジオ代表の富田紀子さんと、長女でスタジオ運営をサポートしている(神田)真理子さんにお話を伺います。まずはスタジオの歴史から教えて下さい。
富田セオリスタジオは主人が始めたもので、1977年に開業しました。その頃私は、ジャズピアノをやっていて、スタジオをオープンして4年経った頃に嫁いで来ました。主人はトランペットをやっていたのですが、練習する場所がなかったことがきっかけとなり、脱サラしてスタジオを始めたそうです。
自分の練習場所のためにスタジオを始めるとは、大胆です。
富田設立当初は、機材レンタルをやったり、高校の学園祭に機材を持ち込んでPAをやったり、いろいろやっていました。スタジオの一角に喫茶店も設けてましたよ。
真理子さんが生まれた時からスタジオがあったのですね?
神田そうですね。物心ついた時には母がスタジオで働いていて、アルバイトのお兄ちゃんがいましたね。「働いてる遊び」をしたり、ウロチョロしていました(笑)。
スタジオ設立当初からのこの場所でスタートしたのですか?
富田設立時はまだ平屋で、平成元年にこのビルを建てて地下にスタジオを三部屋作りました。当時はアルバイトを4名くらい雇っていたんですけど、子育てが終わった頃に、主人が病気になりまして、音楽ブームも下火になってきていた事もあって、代わりに私が、スタジオ業務全体をやることとなりました。
そうだったんですね。一人での切り盛りは大変だったのでは?
富田まだまだ色々覚えないといけないんですけど、なかなか…(苦笑)。
地下の三部屋のほかに、この部屋(4Fドルチェルーム)はとても新しい部屋ですね。
富田ここは半年前(2015年)にオープンしました。このビルに家族で住んでいて、最初はお姑さんもいたので、5人家族だったんです。5年前に主人が亡くなり、娘も嫁いで、お姑さんも亡くなりますと、息子と私の二人だけには広すぎる間取りですし、使ってない部屋がもったいないので、このスタジオを作りました。
このように華やかで落ち着いたスタジオは初めて見ました。
富田ありがとうございます。コンセプト的にはアコースティック専用です。ロックバンドは他の部屋で思いっきり音を出していただいて、ここは穏やかなムードで使ってもらう感じです。そうそう。年末にここでコンサートもやりました。そちらの部屋には電子レンジや冷蔵庫もありますし、楽屋(控室)も別にあります。
神田パーティーとしても使えるようになっています。あとは、おばさま達が集ってお茶を飲む、というのもたまにでやっています。
多目的に活用できる何でもアリな空間ですね(笑)。
富田忘年会みたいな感じで、どんちゃん騒ぎしていただいてもOKです。
神田キッチンが入っているので、お料理が好きな方は食材を持ち込んでいただいて、好きにやっていただけたらと思っています。
ところで、 神田さんは日本舞踊の教室などもやってるのですか?(着物を着ている/写真)
神田日本舞踊は私が趣味としてやってます。7年ぐらいやってます。一向に上達しないですけどね(笑)。
お客さんが、ゆったりくつろげるスタジオでありたい。
セオリスタジオにはRIZEはじめ、多くのバンドに利用されていたと聞いています。
富田昔はよく来ていましたね。それ以前、80年代以降のバンドブームの時代はスタジオがうちぐらいだったので、ほとんどのバンドさんが来ていたようにも思います。スピッツさんとかシャ乱Qさんなどは毎日のように来ていました。スピッツさんはもの静かで、シャ乱Qさんは元気がよかったです(笑)。対照的でした。
そうそうたるバンドたちです。シャ乱Qはイメージそのまま(笑)。
富田当時は、ユニークな名前のバンドだな、と思っていました(笑)。ほかにも河村隆一さんのLUNA SEAや、GACKTさんのMALICE MIZERも使ってくれていましたね。GACKTさんは毎日のようにいらっしゃっていましたよ。まあ、でも売れてくるとツアーやレコーディングやらで来なくなっちゃいますね。
このロビーの雰囲気や居心地の良さが、バンドたちに愛されている理由の一つだと思います。
富田このロビーも、「お客さんが、ゆったりくつろげるスタジオを作りたい」という主人の案です。みなさん、出前を取ったりしてますよ。
出前まで(笑)。そうとうくつろいでいますね。
神田寝てる人も結構いますよ。
富田うん、よくみんな寝てるよね。誰もいないと思ったら、横になってたりする(笑)。
神田出前と昼寝は日常的なことですね。ビッグバンドなどもいるので、15人前とかになるから、お蕎麦屋さんが喜んじゃって(笑)。
宅配ピザを注文したり、お酒を飲んでても良いのですか?
富田もう何してもいいですよ(笑)。
神田部屋の中でも部屋の外でも飲食自由です。
一般的にはスタジオ内は飲み物だけですよね。禁煙も当たり前になってきましたし。
富田うちは、主人が毎日2箱のヘビースモーカーで「喫煙者の気持ちがわかる」ということで、部屋の中でも喫煙可、煙ボーボーで練習してました。ただ、今では警報が義務付けられたのでやめましたけどね。
では次に、富田さんの音楽遍歴のことについて教えてください。
富田4歳からクラシックピアノを習わされていたんですが、クラシックピアノが大嫌いでした。
思い切った意見をありがとうございます(笑)。
富田でも、テレビから流れて来るCMソングを真似して弾くのは大好きで、小さい頃から、ポピュラー音楽が好きでした。その後、青山学院大学に進学して、サークルでジャズに出逢い『これだ』と思い、ジャズの勉強を始めました。
クラシックよりジャズの方があっていたんですね。
富田そうですね。それで、ジャズピアニストの徳山陽先生に師事しまして、2年半ぐらいジャズ理論を習いました。今、先生は90歳ですがお元気で、今でも交流があります。子育ての方が一段落してから、娘もつれて先生の所に再度習いに行きました。
ピアノの方はプロとしても活動していたのですか?
富田ギャラが良くて楽だったので結婚式場などで演奏してました。当時はカラオケがなかったので、余興でお客様がいきなり歌いだすと、「どのキーで始まるかわからないけど弾かないといけない」という現場で。おかげで花笠音頭はすべてのキーで弾けるようになりました(笑)。
ギャラが良くて楽という基準がいいですね(笑)。
富田ホテルでの披露宴などもやっていたんですが、お客様が25,000円くらい払ってくれても、私達がもらえるギャラが7,000円だったんです(笑)。ホテルとプロダクションがすごいピンハネしてるでしょ(笑)。
それは、ちょっと中間マージンが大きすぎますね。
富田ということで、知人と二人でその現場は抜けちゃいました。一番ギャラがよかったのは日本閣という所で、こには長くいましたね。その合間に、シャンソンとカンツォーネとか歌バンとかもやりました。好き嫌いはないので何でもやりましたね。
ピアノレッスンや教えるようなことは?
富田やっていましたよ。出来る子を教えるのは楽しいのですが、とくに元々リズム感が悪い子に教えるのがつらくて疲れました。それで、自分は(教えるのは)向いてないなあと思いましたね。
私ってなんか振られる運命なんですよ(笑)。
なるほど。そして、その頃に、ご主人に出会って結婚してセオリスタジオへ?
富田いや、それが26歳ぐらいの時に付き合っていた人に振られちゃって失恋したんです(笑)。私ってなんか振られる運命なんですよ。その後も2回ぐらい振られて28歳くらいになって売れ残っちゃていました(笑)。まわりの友達は結婚してるのに。
ほのぼのと悲しいエピソードをありがとうございます…。
富田子供が大好きなのに「子供が産めなくなっちゃう」と思ってあせっちゃって、母に「お見合いでも何でもいいからやけくそでやる!」と言って、お見合いしたのが主人です(笑)。
神田やけくそ見合いだね(笑)。
富田やけくそ結婚です(笑)。
・・・(笑)。それで、めでたく家族が増えることになるのですね。真理子さんもピアノを弾くのですか?
神田私は母から習いました。
富田彼女は絶対音感があるんです。遺伝かな。楽譜を見るより先に、耳で聴いてすぐ弾けちゃうんで、楽譜が読めるようにならない。私も別に必要ないからいいやと思っちゃって…、教えるのは親子だとだめですね(笑)。
神田譜面は読めないけど、自分なりに好きに弾いて楽しんでる感じです。
その感じだと真理子さんはジャズ向きなんじゃないですかね?
富田徳山先生もそうおっしゃってましたね。
渋谷周辺には音楽スタジオが沢山あります。経営的な影響はありますか?
富田設立当初は、渋谷にスタジオがそんなにありませんでしたからね。でも、今はもう大変なことになっちゃいましたね(笑)。
都内屈指の音楽スタジオ激戦区ですね。
富田平成元年頃には、一番大きな30帖のAスタジオの料金は7,000円に設定してたんです。それが、スタジオの増加と反比例するように、6,000円、5,500円…、と段々下がってきて、今ではなんと4,000円でございます。安さで競争するしかなくて…(笑)。
競争が激しいですね。Aスタジオは30帖と、相当な広さですがどのように使われているのですか?
富田平日は主にプロの方が使っています。土日はアマチュアの15、6人編成のビッグバンドの方などがメインで使ってますね。若い学生さんから大学のOBやおじさま方のビッグバンドもいらっしゃいますよ。
ビッグバンドの練習できる場所は少いですし、しかも4,000円というのは嬉しい設定ではないでしょうか。
富田ありがとうございます。「安くて良いスタジオ」にしていかないと生き残っていけないですからね。でも、ホントに主人が作ったレールの上を走っているだけで、自分は何もしてなくて恥ずかしいのですが(笑)。
セオリスタジジオならではのスタジオ経営のコツ、というかポイントがあれば教えていただけますか?
富田うちは広さがあっても余白のスペースがやたら多いんです。主人がよく「プロはスタジオ利用回数が多く、(機材を運搬する)ローディーさんのお金も節約したいから、機材を(スタジオに)置いておけるスペースが必要になってくる。」と言っていました。そういうことも最初から視野に入れて設計していましたね。
設計の段階から完全にプロをターゲットにしていたのですね。
富田私は「部屋を広く作ったり、部屋の数を増やしたりした方がいいんじゃないか?」と何度も思ったんですけど、主人が余白のスペースを多く作っていた意味がやっとわかりました。プロの方は機材やドラム等を持ち込むので、(スタジオ以外の場所に)機材を置くスペースがないとやっていけないんです。
旦那様のミュージシャン的な視点が活かされましたね。
富田それと楽器、機材の搬入経路ですね。自動ドアの目の前に機材運搬用のリフトがあって、とても楽に搬入ができる設計になっています。こういう発想は主人のすごい所だと思っています。
スムースな機材搬入が出来るスタジオはありがたすぎます!
富田運搬経路も雨にも絶対濡れないようになっていますし、駐車場も10台分あります。駐車場はぎゅうぎゅう詰めに詰め込むこともありますよ。
しかし、ここまでの設備を揃えるとなると初期のコストが半端なさそうです。
富田スタジオ経営のいいところは、仕入れがなく利益率が高いところなので、設備には投資してもいいのではないでしょうか。レストランだったら、食材の仕入れ価格が利益に反映されたりもしますからね。
でもメンテナンスなどは大変ではないですか?
富田そうですね、メンテナンスの費用は結構かかります。ビッグバンドも入るので、グランドピアノとアップライトピアノの両方を揃えていますが、ピアノひとつ取っても調律費は高いですね。
ピアノのメンテナンスには費用がかかりそうですね。
富田自分がピアノ弾きなので、学生さん達にも気軽にピアノを弾いてもらいので、グランドピアノの利用料金は相場の半額程度で貸しています。調律費だけで18,000円くらいするので、全然元が取れないんですが。
みなさまの“召使い”だと思ってやっています!
それでは最後になりますが、メッセージなどありましたらお願いします。
富田お客様の手助けになることは「何でもしよう」と思っていますので、遠慮せずにお尋ね下さい。
神田「なんかないですか?」と聞かれたら、出せない物がないぐらい応えられます!
富田「お誕生日なので、ケーキを切る包丁とまな板ないですか?」とか、あったね。
それは守備範囲広いです。以前、別のスタジオでビールの栓抜きは無いかと尋ねたら困った顔されましたけどね(笑)。
神田うちは「それ聞いてくる?」っていうようなこともバンバン聞いてくるのが当たり前になっていて「どんな要求にも応えるスタジオ」になってます(笑)。
富田みなさまの召使いだと思ってやっています!
神田それに尽きます。
家族の団結力を感じます。
富田まあ、子供たちの代になったら、また変わっていくんでしょうけどね。彼女は、私よりしっかりしているんですよ。私は一つの相談に集中し過ぎちゃって、周りが見えなくなっちゃうこともあるので、よく注意されるんです。
神田私がスタジオを引き継ぐときは、この「なんでもお応えします」のスタイルも引き継いでいこうかなと思ってます。
ミュージシャン想いの聖地のような場所です。本日は貴重かつ、愉快なお話をありがとうございました。
富田&神田ありがとうございました。喋り尽くしましたね(笑)。
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